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ウェスレーとジェレミー・テイラー

 

序論  

 

ウエスレーの英国教会との関係を、ウエスレー神学の指導的役割を果たしたアウトラーは、

彼は福音的なカトリック(普遍的)な人物だという表現を用いながら以下のように語る。少
し長くなるが引用したい。    

  

 彼(ウエスレー)は絶えず変化する17世紀の英国神学を広く受容することから  

 始めて、自由に以下のものから自由に引用している。(1)ピューリタンからは  

 キリスト者の生活の教理、(2)宣誓拒否者(ノンジュラー(信従拒否者))か  

 らはキリスト者共同体の第1の要素としてのリタージーの強調、(3)キャロラ

 イン神学者達(テイラー、ヴィヴァレッジ、ティロットソン、ホーネック等)

 から(4)自由主義者(スティングフリート、ティロットソン、バーネット等)

 からは、「寛容」よりも「包括主義」が優っているという点を引用した。

 初期においては、ウイリアム・ロー、マイケル・モリノス、フランスの静寂主義

 者と行動を共にした。オックスフォードでは、教会教父達、特に砂漠の教父達の

 生涯にわたる学びを開始した。彼はホーリークラブを4世紀の修道院の生活を手

 本にして結成するが、それは彼がエジプトのマカリウスから学んだものである。1

    

  

 ウエスレーの神学を一言で表わすのにどのような表現が適しているのだろうか。

「統合神学者」、「普遍的な意味でのカトリックな神学者」等の表現を用いることも可能で
ある。上述のアウトラーの言葉は主に普遍的な意味でのカトリック神学者という意味で用
いられていることが理解できる。「普遍的」(catholic)という言葉は、「全体的」「包括的」と
いう意味もある。ウエスレーに関しては多くの研究書が出されているが、アングリカン神
学者として英国教会の中の多くの根源となる要素に目をとめる学者が少ない。特に英国
教会の中にあった東方教会の流れはかなりウエスレーに影響を与えている。この論文で
はウエスレー神学と英国教会の関係をジェレミー・テイラーとの関連においてとりあげる。
特に聖餐概念においてどのようにテイラーの影響を受けてきたかを中心に考察していくこ
とにする。 

  

本論 

1.ジェレミー・テイラーの生い立ち  

ジェレミー・テイラーはウエスレーの活躍した時代より少し前に位置する。彼は1613年に
生まれ、1667年に亡くなっている。 1613年に幼児洗礼を受ける。主にケンブリッジ大
学で活躍し、学生として入学し、後にフェローにもなっている。ウイリアム・ロードに才能を
認められ、チャールズ1世のチャプレンとなったが、1633年に英国教会の聖職者として
按手礼を受ける。1638年に彼はルットランドのアッピンガムの教区牧師となり1642年
までこの職にあった。同年国王軍のチャプレンとなる。後にピューリタンによって投獄され
るという経験を持っている。その後ウエールズに住み貴族のチャプレンとして1645年から1
648年で過ごしている。その間に多くの著作を残した。例えば寛容の勧めである《Liberty 
of Prophesying 1647》や、《The Rule and Exercise of Holy Living 1650》,《The Rule and 
Exercise of Holy Dying 1651》である。 特に後の2つの書物は有名であり、節制をすすめ、
古典的な書物であり、ウエスレーに一番影響を与えた本でもある。その後1658年にアイル
ランドのダブリンに住み、60年にダウンおよびコノーの教区主教となる。この年にもう1つの
重要な書物である《Doctor Dubitantium,1660》を出版し、道徳神学を強調した。彼の本は全
般的には英国教会の立場を保持しており、特にピューリタニズムやカトリシズムに対して英
国教会の立場を表わしているものとして見られている。 テイラーは個人的な神へのデボー
ションを強調するとともに、英国教会人としてハイチャーチ的な教会論を持っている人物であ
る。固定化された礼拝形式等に執着する要素がある。このバランスの取れた姿勢はウエスレ
ーへの影響を考える上でも鍵となるものである。なぜならばウエスレーも相反するものが矛盾
なく存在している点があるからである。テイラーはカトリック的なサクラメント的な生き方をして
いる人物である。彼は主教制を支持する。聖書は神の意志の完全な宣言であり、理性は最高
のガイドであり、判断者である。  この立場はウエスレーにおける聖書の優位性と解釈手段とし
ての理性の役割の強調に似ている。 ジェレミー・テイラーの生きた時代はフッカーによって教
会のリタージカルな側面の規則がしかれた後の時代であり、その後、アンドリュースやウイリア
ム・ロードによってリタージカルな側面がしかれていく時代であった。

  

  2.ウエスレーとジェレミー・テイラー 

ウエスレーとジェレミー・テイラーとの関係について述べると、ウエスレーが聖化概念を模索して
いた時に、ウエスレーはジェレミー・テイラーの本である『聖なる死と生の実践』という本を読み、
聖化思想に出会った。マッカドウーもウエスレーがこの本を読んだ後に聖化思想が起こったもの
であり、ウエスレーの人生において1738年の第2の回心の時の経験はこの本との1725年の
出会いに基礎があるということを指摘し、以下のように語る。 

  

 「私は非常に影響された。私のすべての人生を神に、私の考えや言葉や行動を神に   
  ささげるように決心させられた」。 2  

  

 この様子は更に1725年6月8日付けのウエスレーの母親スザンナにあてた手紙の中にもあ
らわれている。そこにはサラ・カークハムがジェレミー・テイラーの『聖なる死と生の実践』を読む
ように勧めた事を書き、その後1725年7月21日の手紙で母親がそれに答えて、私はテイラー
博士の『聖なる死と生の実践』についてはまったく、またはほとんど知らないが、良い本であると
考えると語った事を紹介している。 実際にジェレミー・テイラーをウエスレーに紹介したのはヴェ
ラニーズ(サラ・カークハム)であったとしている。 3 『聖なる死と生の実践』という本の目的は市
民戦争と君主制の崩壊の時期において聖なる生活を取り戻そうとする試みであり、聖フランシス
の生活を真似るものとして書かれたものであった。 特にこの本の中で注目すべきなのは、断食
や貧しい人々への寄付等がすべて「聖餐をどのように受け取るか」ということを目指していること
である。  人間の内面の意図の清さ(Purity of intention )と神の臨在の儀式 (practice of the 
presence of God)、キリストに似た者となる(imitatio Christi)というテーマがあった。これはトマス・
アケンピスの『キリストにならいて』というウエスレーに影響を与えた本にも通じるものであるし、
ウエスレーの聖化思想の本質が意図の清さを求めたことにも現われているので興味深い。ここには、
神への信仰において私たちの行うことが聖霊を受けることにより日々確認され、意図の清さを深
めていく。聖餐においてキリストと出会い、罪の悔い改めがおこり、新しい生き方へと招かれてい
く。聖餐は生き方と密接に結び付き、信仰を生きる者となるという一連の動きがよく表現されている。 
またネヘミヤ・カンノックもウエスレーのジャーナルの序文においてウエスレーに影響を与えたのは
母親であるスザンナ・ウエスレーでもあるが、日記を見るとトマス・ア・ケンピスとジェレミー・テイラー
がより大きな影響を与えた事を書いている。

 特にジェレミー・テイラーの本を読んでウエスレーが日記をつけるようになったということも忘れて
はならない事実である。自分の内面を見据えて、その内面の様子を日記につけるようにウエスレー
は考えた。そして自分の内面を常に整理し、神の意志より離れていないかをチェックしていた。ウエ
スレーのジャーナルの序文の中の『聖なる生活』の中の引用で、テーラーの言葉が引用されている。
「私たちは毎晩寝るのであるが、過ぎ去った一日の行動を特別な正確さを持って調べる。」と語って
いる。 4 テーラーの態度に刺激されてウエスレーは日記をつけるようになった。この日記は60年も
の長い間、続くのであり、ウエスレーの最後の日記は彼の死の1週間前のものである。 同じように
ウエスレーが朝5時に起きて毎日を厳しく時間毎に区切り生活をしたというのは有名な話しであるが、
ウエスレーは規則に則って生活している。  ウエスレーが規則的に生活している背後にも、ジェレミー・
テイラーの影響がある。「規則」を自分の人生に課して生活していく方法はジェレミー・テイラーから
学んだものである。 信仰者の霊的な形成(スピリチュアルフォーメーション)という意味で日記をつ
けることはウエスレーの流れを組む神学校でも奨励されており、規則正しい生活の実践というもの
は一部の神学校等においても見られるものである。5

 さらにジェレミー・テイラーは聖霊を特に強調しており、聖霊を霊感を与える主体、聖書を解釈する
主体として理解した。ウエスレーはそこに惹き付けられた。彼はジェレミー・テイラーの教理的立場、
特に聖なる秩序を重んじるところに影響を受けた。  以上みてきたように、ウエスレーはジェレミー
・テイラーから多大な感化を受けている様子がはっきりと理解できる。ウエスレー神学においては聖
化の教理は重要なテーマであるが、聖化の教理の基礎を作ったのはジェレミー・テイラーであった
とも言えるのではないだろうか。   

  

3.聖餐論 
 ウエスレーとテイラーの関係を考える上でどうしても考えなければならないのは、聖餐論との関連
である。ここに筆者は英国教会の中における東方教会の影響を見る思いがするので、あえて聖餐
論を一項としてとりあげたいと思う。

  

1)ウエスレーの聖餐理解の推移 生い立ちから 

ウエスレーの聖餐理解は主にエプワースの牧師館を含む父親の牧会との関係の中に築き上げられ
たものある。ウエスレーの両親は献身的なアングリカン人であった。当時、英国教会の中には3つの
流れ、ピューリタン的なものとハイチャーチ的な要素、ラチチューディナリアンがあったのであるが、
ウエスレーはハイチャーチ的な雰囲気の中で育ってきたのである。 ウエスレーの聖餐理解において
我々が認識すべきことは、ウエスレーの聖餐理解が聖書と歴史的なキリスト教の伝承の中に根差し
ている事である。ウエスレーは8才の時には聖餐にあずかっていた。  彼のめざしていた宗教は
「心の宗教」と呼ばれていたが、それは「聖霊の霊感によって私たちの心を清め給え、そうすることに
よって私たちがあなたを完全に愛し、聖なる名を高めることができるように」という聖餐の時の祈祷書
に書かれてある祈りを元にしていた。

 ウエスレーにとって聖餐にあずかることは、ダイナミックな信仰そのものにかかわり、形式的なだけ
でなく、実際の生き方に影響を与えるものであったことが理解できる。 ウエスレーは、その後1720年
にオックスフォード大学に入学するが、ジェレミー・テイラーの見解である「人は自分が救いの状態にあ
ることを決して知ることは出来ない」という思考が以下のジェレミー・テイラー見解と矛盾するということ
を語っている。 

  

 主の晩餐においてすべてのメンバーは首長であるキリストとつながっている。

 つまり聖霊は私たちが祈り求める恵みを与え、私たちの魂は不滅の本質を持つ種

 を受け取る。(この後はウエスレーのコメントである)   

 さて、今や確実に、これらの恵みは私たちが持っているかどうか認識できない
 ような小さい恵みではなく、もし私たちがキリストの内に宿るならば、キリストも
 私たちの内に宿る。この事は私たちが再び生まれなければそれを経験する

 ことはないということであろう。もし彼(テイラー)の意見が正しいならば、私は  
 大きな間違いを犯してきたことになる。というのはもし私がふさわしく(例えば信仰、
 謙遜、感謝を持って)聖餐を受けているとしたならば、私の以前に犯 した罪は実
 際赦されるからである。私が言おうとしていることは、 私が再び罪に転落しない
 限りは、少なくとももう1つの世界において、私に対する裁きの中でも復活におい
 て救いは保証されているということである。しかしもし私たちが救いの状態にいる
 ことを確信できないのであれば、毎日喜びではなく、恐れを持って震えながら過ご
 すことになる。そして私たちはこの世の中で最もみじめな人間である。6

  

 ここにはウエスレーが聖餐式に出席することにおいて、第1に主の晩餐は信仰者の内に何かの効果
をもたらす恵みの手段であることと、第2に罪の赦しを確信できる恵みの手段であるという積極的な聖
餐観が表われている。ここにはウエスレーが「聖餐を義認の恵みへと導くことができる礼典」としてとら
えていたことを意味している。聖餐を通して信仰者は、この世で実感できる救いの経験にあずかるの
である。 

 1726年に彼は毎週聖餐式に出るように決心をし、オックスフォード大学のリンカーン校への忠誠を
表現するためにそのように実践した。しかし彼のこの当時の関心はウエスレーがハイチャーチ的な考
えを持っていたということを証明するものというよりも、彼の主な関心は聖なる秩序の中でいかに聖で
あるかということであった。ウエスレーにとっては、聖餐にあずかることによって、聖性を保つことの方
が儀式的な側面より勝っていたことを知ることができる。彼は聖餐式にあずかることにより、自分の
人生が変革されることを望んでいた。聖餐式は新しい生き方をあずかった者に与え、人はさらに神の
像へと回復されていくのである。  

 ウエスレーの内に聖餐に関して大きな変化を起こったのは、1729年であった。ホーリークラブの
結成があり、彼等は聖餐主義者やメソジストとあだ名をつけられる程聖餐にあずかることを強調する。 
ちょうど同じ頃、英国教会内においても祈祷書の立場ともう1つ別の聖餐論の立場があった。それは、
ノンジュラー(信従拒否者)と呼ばれる人々のグループであった。彼等は祈祷書から離れ、エドワード
VI世の第1祈祷書を採用したグループであった。ウエスレーはオックスフォードメソジストのジョン・
クレイトンからノンジュラー(信従拒否者)のやり方を教えられ熱中した。オックスフォード大学は
ノンジュラー(信従拒否者)の本拠地であった。ウエスレーにおけるエピクレーシス(聖霊降臨)の祈祷
の存在は、ノンジュラー(信従拒否者)の影響があると言われているが、1745年のジョンとチャールズ・
ウエスレーの主の晩餐の讃美歌に表現されている。  ハンターはこの本の特色を彼の著書で以下の
ように述べている。

   

  1)祈祷のもとの主の晩餐の制定、2)アナムネーシスの存在 キリストの

  受難と死の想起、エピクレーシスの存在 3)アナムネーシスが犠牲を含むこ

  とキリストのみが救うことが強調される。4)讃美歌72では祈願(Invocation)

  が見られる。5)ぶどう酒と水の混合が見られる。これはカトリックとプロテ

  スタントの混合が見られる。6)死者を送り出す祈りが見られる。 7

  

 この立場から明らかな事は儀式ととらわれない自由な聖霊の導きの強調であり、神の導きを求め
ながら、積極的に恵みを受ける神と個人との関係の強調があるように思う。以上英国教会内にある
ノンジュラー(信従拒否者)の聖餐概念の影響を見てきた。ウエスレーがノンジュラー(信従拒否者)の
立場を継承して聖餐概念を発展させていることは彼がいかに聖餐を生きた信仰経験と捉えていた
のではないだろうか。 ウエスレーはアメリカのジョージアに行く船の中でも毎日聖餐式を行っている。
ウエスレーの聖餐式への思いは晩年においても健在であり、1780年代においては聖餐受領者の数
は増大していく。時には千人近い人々に聖餐を授けることもあった。そこには規模からしてかなりのエ
ネルギーがあったのではないだろうか。聖餐を受けることにより、集団が生かされていく様子が想像
できて興味深い。 

  

2ウエスレーの聖餐神学 

 ウエスレーはどのような聖餐概念を持っていたのだろうか。ウエスレーは著作集の中で

 「聖礼典の目的はキリストの死をパンを食し、ぶどう酒を飲むことにおいて続けて   
  思い出すものであり、聖餐はキリストの体と血の内的な恵みの外的なしるしであり、
  我々が同じものを受け取る手段である。」としている。8  

  

 「内的な恵みの外的なしるし」という言葉は特にウエスレーの立たされていた状況を暗示しているよう
に思う。ウエスレーの生き方は逆に言えば、外的な恵みの手段を通して与えられる神の恵みを内的に
極みにまで引き上げた点にあるとも言えるし、逆に内的に体験された恵みが外的な手段によって
強化されるという形においても表現することができる。 「内的な恵みの外的なしるし」という言葉
にはウエスレーが物事を理解していく道順があるように思える。つまり外側から内側へという順序
ではなくて、内側から外側へ移行していく恵みの変化である。筆者は福音的な回心経験や信仰経
験が外的な神によって制定された恵みの手段である聖餐にあずかることによって強化されていくと
いう方向性があると考える。ウエスレーはホーリークラブで活躍していた時代、聖餐主義者というあ
だ名をもらっていたのは有名な話である。彼等は聖餐への出席を几帳面な程厳守した。特に彼は
クライストチャーチでの聖餐を重んじた。 このように忠実なまでに聖餐を守っている彼の姿勢の根
拠はどこにあるのであろうか。 ステープルスは以下のように結論づけている。    


  「ウエスレーにとってこれらのしるし(サイン)は欠くことのできない指図だけ  

  ではなく、洗礼を自分の信仰への人間の証し以上のものであり、聖餐はキリス

  トの死以上のものであるという証拠である。礼典は、我々が内的な恵めを受け

  取る手段である」と語る。 9 

  

では恵みの手段とは何か。ウエスレーは続けて語る。 

 

  「恵みの手段ということにおいて、私は外的なしるし、言葉、行為、神に制定

  されたものであり、この目的の為に人に伝えられる。人が恵みから落ちるのを

  妨げ、人を義と認め、聖化する一般的なチャンネルである。」としている。10  

  

ここには聖餐を「信仰を確信する儀式」と捉えたのみならず、さらに進んで「回心をすすめる儀式」とし
て理解していた。ウエスレーは恵みの手段として、聖餐に規則的にあずかる事を前述した。後述する
ことが聖餐にあずかる事により新しい生き方を与えられ、人は変容していくのである。この規則的に
という時に、頻繁に行うことを奨励するが、週毎に行うことや、常に聖餐にあずかること自体の必要
性を説いている。  このような意味で聖餐にあずかることがウエスレーの中では欠くことのできないも
のであることを理解できる。 ウエスレーの最も顕著な聖餐に関する見解は以下のものである。    

  

  聖礼典に関して彼やあなたの判断に同意するには1つの思考だけで十分である。 我々はキリス
トの人間性がその中に現れることを共在説や実体変化説という立場をとるということにおいては承認
することはできない。しかし1つとなる作法は神にはそうではないが、ふさわしい受領者である私にと
っては全く神秘的なものである。しかしキリストの神性は我々とつながっていると固く信じる。11

  

  パリスはこれを3つの基調があるとする。

  1)実体変化説と共在説の拒否 

  2)穏健カルヴァン主義(どのように神性があらわれるかは神秘的であるとする箇所)

  3)何が起こっているかはわからないが、我々がそれを体験できることである。12

   

 ウエスレーは恵みの手段を「聖霊が神の子の魂に伝えられる最高の手段である。」 とするが、聖餐
にあずかることによって、キリストが我々の中に臨在し、我々と神は1つとなる。この生き生きとした
関係が聖餐において可能となり、我々は聖霊に満たされることによって、キリスト者としての生活を
なしていくことができるのである。ウエスレーにおいては聖餐の教理が聖霊の働きと密接に結び付け
られていることを理解できると思う。聖餐を受領する時は、聖霊の働く時でもある。聖餐の教理は聖
霊の教理と離れては存在しない。エピクレーシスの祈りが不可欠な理由がここにある。 以上の考
察をテイラーの聖餐論と比べて見ると両者の共通点がよく見えてくる。

  

3テイラーの聖餐神学  

テイラーにとっても、聖餐は常に意識的に取り組んできた分野であった。彼は最初に『詩編集』
(Psalter)の中でユーカリストについて語っている。 5年後、『偉大なる模範者』(Great Exampler)
の19章の主の晩餐についてという項の中で、テイラーは敬虔な聖餐論者として登場する。彼はそ
こで主に聖餐や講壇の上での犠牲の意味、適切な準備について、どれくらいの頻度で受けるべき
か等について語っている。以下いくつかのテーマに分けて考察したい。 

 テイラーの中には以下のテーマが存在する。

  

 a.)祭壇の神学 
祭壇を彼はどのように見ていたのだろうか。カトリック教会等の信徒を見ると礼拝堂に入る前にお
じぎをする習慣がある。テイラーはこの習慣を弁護する本を書いている。 祭壇は神秘的な臨在の
起こる場所である。祭壇でキリスト者は何を受けるかのか。それは単なる象徴ではなく、空間の物
体でもなく、物質的に変化したパンとぶどう酒ではない。むしろ、十字架につけられ、復活され、栄
光の中に入られたキリストであり、聖別された物素が彼と1つとなり、それらを通して彼の命と体と
血が伝えられる。聖餐におけるイエスの血の犠牲は天の祭壇のコピーなのである。 祭壇はキリ
ストとの犠牲とわれわれを結ぶ結合点なのである。祭壇はウエスレーにとっても神の臨在するとこ
ろであり、神との交わりが起こる所なのである。神は真にそこに臨在し、霊的な交わりが生まれる。
ウエスレーが幼少の時に英国教会の中で行われる儀式を見て自分の聖性に対する興味を与えら
れたものと相通じるものがある。祭壇は特別な場所として映る。

  

 b.)犠牲の概念 
さらに『聖なる生活』(Holy Living)において詳しく聖餐に関して述べている。特にこの本においては、
受領者も犠牲そのものとして重視される考えを語っている。キリストの犠牲により恵みを受けたもの
が、自分をキリストの為の犠牲としてささげ返すというのである。「アーメン」と唱えることにより、授け
る者と受ける者とが共に1つとなって聖餐にあずかる。  教会におけるキリストの行動は天における
キリストの業と類似する。つまりイエスの受難、死、復活の再提示であり、キリスト者の中でのこれら
の行為を現在も有効である。キリストは十字架上で死に、それによってご自身の命を犠牲にされた。
毎日彼の犠牲は礼典において覚えられる。   

 テイラーは、聖餐においてキリストが自己犠牲をされるように礼拝者も自己犠牲を為し、両者を
結びつけるのである。  さらに彼において強調すべき点は、聖職者の犠牲である。地上の祭壇
における聖餐の神秘はまさに偉大なる高貴な祭司であるキリスト御自身の犠牲と1つとなり実現
化されるのであるが、聖職者が神と人との仲介者としての役割を受けており、この仲介はキリスト
の仲介と対応している。  聖職者は祈祷において聖霊の主体的な働きを引き出す。祈祷を通して、
聖餐執行者はキリストの犠牲の意味と美徳を執りなす。 このようにキリストの自己犠牲と信仰者の
自己犠牲を仲介する聖餐執行者の祈りにおいて聖餐は成立するのであり、キリストの贖罪の犠牲
はキリスト者において恵みとなり、恵みを受けた者としてキリスト者は恵みを実践する者となり、召
されていく。このような順序がウエスレーの中にある。キリストの死が聖餐において思い出されるこ
とにより、自己点検をする機会が与えられる。キリストの犠牲は過去のものだけではなく、現在も
それを自分のものとして経験することが可能なのである。つまり私たちが自己犠牲できるのは、
キリストの自己犠牲の実なのである。ウエスレーの第2の回心は自分の力ではなくキリストの犠牲
の故に救われているという強い確信であった。その犠牲に支えられて自分をも再献身させられる
順序がここにはある。   

  

c.)新しい生き方を与える聖餐論 

 テイラーは『価値ある聖餐受領者』(The Worthy Communicant)の中でも聖餐論を展開する。この
本では特に実際の儀式にいかに参加するかが問われる。この参加(participation)の理論は聖餐を
理解する上に重要な要素である。この本では礼拝者が感謝をささげ、他人のためにとりなしの祈り
をすることを定める。自分と神との個人的関係だけでなく、共同体的な視点を持って周りの世界に
も目をはせる聖餐論は講壇において行われる聖餐式において実現しているのである。聖餐はキリ
スト者共同体の共同行動なのである。聖餐はキリストと受領者が1つとなるだけでなく、受領者と他
のメンバーをも1つとする。キリスト者の交わりは、続けて聖餐にあずかり、恵みを受け、教会から
外へと派遣されていくことによって伝わっていく。1番問われるのは、聖餐受領者の資質なのである。
聖餐を受ける時に自分の信仰が吟味され、悔い改めが起こり、キリストと一体化することにより人
生が変えられていく。この事を示す有名な地面は、ウエスレーがアメリカに到着して、当時ウイリア
ムソン婦人が教会のつとめを疎かにしたという理由で聖餐にあずかるのを拒否したりもしている。  
これは聖餐受領者の資質が問われていることを如実に示している証拠となる。

  

 「テイラーは聖餐を福音を伝えること、新しい生命の手段、キリストの命が我々

 の命を変容させるものと見た。もし我々がふさわしく聖餐にあずかるならば、私

 たちは自分自身をキリストにささげ、我々の自由や命をささげる。それと引き替

 えにキリストを受け取る。聖パウロが言うように『生きているのはもはや私が生

 きているのではなく、キリストが私のうちに生きている』」 13   

  

テイラーがこの言葉を聖餐と結び付け、個人の体験としての次元というよりも教会論的に考察してい
ることに注目したい。聖餐論にはまさに概念的な概念ばかりではなく、生き生きとしたキリストとの関
係とそれに基づく教会の形成の鍵なのである。現代の聖餐はこのような意味で受け取られているだ
ろうか。個人と神との関係という視点でのみ聖餐は理解されていないだろうか。しかしテイラーの聖
餐理解には広がりがあることを見逃してはならない。「わたしたちは自分自身をキリストにささげ、自
由や命をささげる」というのは、聖餐の恵みにあずかることにより、更に新たな生き方を与えられて、
変化させられる姿がある。 聖餐において一体どのような事が起こるのだろうか。テイラーにおいて
は、洗礼を受けた後に犯した罪はどのように処理できるかという問題があった。その罪を消しさるに
は、聖餐の恵みにおいて、恵みを蓄えることによって以外は誰も救われないのである。赦されたとい
う永続する状態は、聖餐の恵みによって新しくされ、実際生活に適用されるのである。  聖餐におい
て起こることは、「生活の整理」、「人生の新しい状態」、「変更されたコース」であり、聖礼典と聖なる
生活は結びついており、切り離すことはできない。  このような意味で聖餐にあずかることにより人
は新しい生き方を付与され、恵みを新たに受けることが起こるのである。 ウエスレーが聖化を社会
的にも展開していることにも密接に繋がっていく思想ではないだろうか。さらにウエスレーは信仰者の
交わりを強調するが、これは聖餐の交わりにおいて、一同に神からの新しい生命が付与され、それ
を分かち合う要素が含まれており興味深い。教会全体が1つとされ、主の恵みの分かち合いが起こ
るのである。 

  

d.)神秘的な神の臨在の教理  

 ジェレミー・テイラーは、聖餐は「われわれの宗教の偉大な神秘である」と語った。 彼の偉大な書物
である『真臨在』(Real Presence)はテイラーの聖餐論を知る上で欠かせない書物である。テイラーは
教父の影響を受けていることがこの本からはわかっている。 テイラーはカトリックの実体変化説を否
定し、それに対する方法として臨在的、霊的な意味で聖餐を理解する。パンとぶどう酒は外面的には
変化しないが、聖霊の力において内面的にはキリストと1つとなり、受領者の内面には変化がある。
キリストの体は量的に理解できないし、ある地域や場所だけにあらわれるものではない、しかし不思
議に聖餐の中において神秘的に礼典的に現われる。  ツウィングリの言うように象徴的にのみ現わ
れるのではない。テイラーの見解はやはりアングリカン神学の立場を継承するものとして興味深い。
聖餐の中の真の臨在は、受動的な臨在ではなく、聖餐を通してキリストは御自身の教えを伝え、癒し、
赦し、人の魂を新たにし、人を御自身と一体化することの業をもたらし、私たちと結び付きながら、
イエスの中に私たちをとりこまれる。   真臨在の教理は以上のようにテイラーの聖餐論にも欠か
せないものであった。 ウエスレーはこの真臨在の教理を母親から得た。母親の聖餐に関する真
臨在の教理の見解を承認していることも明らかになっている。ウエスレーの最初の聖餐に関する理
解は家族の中から与えられたものであった。聖霊を通して与えられる真臨在は「聖別されたパンの
キリストの体との神秘的な関係はキリストの体という名前を意味するのに十分に値する」 という言葉
に具現されている。

  

e.)聖餐と聖霊の教理 
 テイラーにもう1つ特色的なことは聖霊の聖餐における役割である。実はこの聖霊の教理が最も
特徴的であると言っても良い。テイラーにとっては聖餐にあずかる時には受領者の側のある程度の
準備が必要である。慈善、告解(悔い改め)、信仰が受領者の側に必要となる。聖餐を受けることに
より聖霊を受けることが起こる。 この事は、東方教会の伝統としてのエピクレーシス(聖霊降臨の祈
り)の影響があると考えることができる。この概念は西方教会においては後退し、不在になった。ヨハ
ネ6章63節の「命を与えるのは霊である。肉は何も役立たない。」という言葉は、聖餐の意義と力は
人間の意のままになるのではなく、祈りの対象であることを示している。

 受領者は聖餐を受けることにより聖霊を受け、聖霊の実を残す。聖霊がなければすべての聖礼典
は効果がなくなる。実は、この教理がウエスレーに1番の影響を与えることになる。ウエスレーは神の
霊と人間の霊が呼応して救いが現実化されることを強調している。聖霊は聖礼典を通して、キリスト
の一度の犠牲を我々に有効なものとする。聖餐を受ける時には信仰が必要である。テイラーは以下
のように語る。

  

 聖餐におけるキリストはヴェールの下に隠れている。信仰の手なしでは、われわ

 れはキリストを受け取れない。われわれはここにおいて信仰の目で見る必要が

 ある。そしてどのような栄光あることが聖餐について語られようとも、聖餐全体

 は体も霊も神聖で霊的な交わりなのである。14

  

エピクレーシスの祈りにおいて聖霊 は臨在し、われわれの信仰を呼び起こし、聖餐を有効なものと
する。聖餐を今こ こで起こる有効なものとしてとらえている姿がある。

  

  4. 議論の整理と総括   

 英国教会の聖餐論の立場は事効論(ex opere operato)的立場であった。本来聖餐によって与えら
れる神の恵みの客観性を強調するものであり、聖餐を構成する形式と材質さえ整っていれば、執行
者の状態の如何にかかわりなく、聖餐の効力は保証される。これは聖餐の効力が、執行者の道徳
的状態に左右されるとする人効論と対立する。このことはウエスレーの聖餐論において影響を与えた
ノンジュラーの主教たちの執行する聖餐も有効であるとする立場であった。 当時英国教会内におけ
る聖餐式の実際はどのようなものであったのだろうか。ヘルンフートのペーター・ベーラーは、英国教
会の聖餐式を見て、儀式的な要素のみが強調されていることに衝撃を受けたという事実が残ってい
る。ペーター・ベーラーは儀式的なものにどれだけ耐えられるかを告白し、賛美歌を使用したりするこ
とを強調する。 ウエスレーの行った聖餐式も英国教会のそれと全く同じであったかということについ
ては、ウエスレーはいくつかのアレンジをしている。例えば彼は賛美歌を付加したりしている。ウエスレ
ーが礼拝を行う時に、彼は自然発生的な要素(感動して神を賛美していく等)を強調していたことが
拝察できる。聖餐においてもウエスレーは聖餐という儀式そのものよりも結果を重視している。 メソ
ジストはどのようは形で聖餐を受けていたのであろうか。彼らは聖餐を受ける時に以下のように祈
った。

   

 「私たちはこの聖餐のテーブルに自分の義を信じて厚かましくも聖餐にあずかりに   
来ている者ではありません。ここに来ることができるのはただあなたの多くのそして
偉大な恵みによるのです。」  

  

 ウエスレーにおいて特徴的なことは、聖餐にあずかることにより、回心することが起こるような恵
みの手段として聖餐を捉えていたことであることは前述した通りである。 この信念にはもう1つの
問題提起があった。ウエスレーにとっては、聖餐は救われて確信を持っている人のものだけでなく、
名目だけのキリスト者が聖餐にあずかることによって回心する機会にもなっていくのである。説教
と同じように聖餐は福音的な手段となるのである。彼は聖餐を受ける人の悔い改めを強調する。 
さらにもう1つの違いはウエスレーの聖餐理解における成就された終末論とでも言えるような響き
である。ウエスレーにおいては救いの実現をも含めて、聖餐にあずかる時に聖霊が信仰者の心の
中に満ちあふれ、神の恵みの真臨在が起こる。これはメソジストの中にあふれていた活力の元で
あった。喜びと勝利のしらべがウエスレーの中にはある。 ここから生みだされるのは、終末の先
取りがここではじまっており、神の国の到来は実現されたものとしてわれわれのものとなるのであ
る。聖餐は終末時の「聖者たちとの晩餐」の教理と結び付けられている。  このような思想は伝統
的アングリカンの中にはなかった。 むしろこれは英国教会の中のノンジュラー(信従拒否者)の流
れを組んだ聖餐理解であった。ここにウエスレーの聖餐理解のアングリカンの聖餐理解との乖離を
見ることができるのではないだろうか。さらにこれは前述したが、即興の祈りや賛美歌を歌いながら
聖餐を守るという手法をとった彼に特異な点である。 ウエスレーの聖餐論は人間の役割が強い。
神の側だけでなく聖餐の受領者の資質がある程度問われる。しかし受領者の資質のみが聖餐を
有効にするかと言えば、そうではなく、ここにも神の主権があり、その恵みに則って神の臨在は一
人一人のものとなる。  

 ウエスレーの聖餐神学は穏健カルヴァン主義と言われる。  しかし筆者は、ウエスレーの中にあ
るエピクレーシス(聖霊降臨)の祈りの存在から考えて、ウエスレーはカルヴァンと結果的には近い
立場に立っていたとしても、基本的にはテイラーの伝統に近いものであったと考える。 ウエスレー
は自分がどの立場に立つかよりも受領者の心が本当に神の前に正しいかを聖餐を通して問うよう
な道に歩んだ。この道こそヴィアメディアとしてのウエスレーの聖餐論であった。 ウエスレーにおい
てテイラーの及ぼした影響が一番大きいように思う。聖餐神学者、道徳神学者としてのテイラーの
立場のユニークさがあらわれている。テイラーは禁欲主義者とも呼ばれているが、ウエスレーの教
理においても、キリスト者の完全の教理等が、罪を犯さない完全さと誤解されたりした背景には、
禁欲主義的色彩があったように思う。儀式的に聖餐を受けるのではなく、あくまでも生き生きとした
イエスとの関係を体験する積極的な役割が聖餐において起こるのだ。テイラーの影響を受けたの
は、ウエスレーにおいては初期にあたる。ウエスレーはテイラーを超えていったとも言えるだろう。 

 以上、両者の見解をいくつかの角度から眺めてきたが、もう1つどうしても忘れてはならないのは、
テイラーに与えた東方教会の教父たちの影響である。このことは、彼が「聖職者」(priest)という言
葉の代わりに「聖なる人」(holy man)という言葉を使用したり、「祭壇」の代わりに「祝福のテーブル」
という言葉を使用しながらより共通する用語を使用したり、救われた人間性を「神に祭る」(deification)
という言葉にも現われている。これは東方教会の人間性に関する教理であると言われる。 
特にクリュソストモスをテイラーは尊敬していたが、二人の聖餐理解は共通点が多い。  ウエスレー
にも同じような東方教会系統の影響が強いので、二人の源は東方教会にあると言えるのではないだ
ろうか。この事柄に関してはさらに研究を深めたい。 

 

 結語   

 我らの教団はどうなのだろうか。聖餐論に関しては非常に弱い側面を持っている。というのもメソ
ジストの流れを組むプロテスタント教派においては、聖餐よりも説教が中心になって教会形成がな
されてきたように考えるからである。ウエスレーの時代においてもハイチャーチ的な側面と福音的な
側面をいかに調和させるかが問われていたが、それは今日においても同様である。歴史的に聖餐
論を考えた場合、説教を中心に礼拝が行われ、聖餐式の回数も、年に6回や4回等と少なく、聖餐
的理解は為されてこなかったように考える。 以上のような背景を考察すると、ウエスレーが英国教
会の中に聖餐論的なリヴァイヴァルをもたらそうとしたという理解を持ってウエスレーの役割を再評
価することともできるのではないだろうか。 ウエスレーの聖餐の目的は人々がキリストと1つとなる
ことにより、聖化を実現していく恵みの手段としての目的があった。 普通「聖餐主義」と「福音主義」
は反対概念である。前者はリタージカルな面が強くて、静的な印象を受ける。逆に後者は動的な伝
道の行動を表現しているように感じる。ウエスレーにおいては、英国教会の中にあった聖餐概念を
乗り越えるものをもたらした。つまり、ウエスレーの中ではリタージカルな聖餐概念と動的な伝道をし
ていく概念はつながっているのである。聖餐にあずかることによって私たちは、新たに創造されて、
変容して聖化の恵みあずかり、その聖化はまわりの人に伝わっていく。その独自性がウエスレーに
はある。私たちもこの伝統をしっかりと受けとめて歩みたいものである。 

    

1 Edited by Thomas C. Oden & Leicester R. Logden, The Wesleyan Theological Heritage

-Essays of Albert Outler-, Zondervan Publishing House, 1991,p.44.

2 H.R.McADOO, The Eucharistic Theology of Jeremy Taylor today, The Canterbury Press

Norwich,1988.p.79. 彼はこの事はH.Hughes, The Piety of Jeremy Taylor(1960),pp.175-177.から引用している。

3 The Journal of Rev.John Wesley,A.M., edited by Nehemiah Curnock, volume I-VII, Epworth

Press,1938 (first published 1909, 以下Journalと表記)Journal I,p.16. さらに47頁においては、ウェスレーの日記がシンプルなのは父や祖父からの遺産であるが、それ以後の発展はジェレミー・テイラーに負っていると語る。ウェスレーは手紙を綴る時、時々変名を使用していた。

4 Jounral,I,pp.47-49

5 主な規則に関してはJournal I;p.40を見よ。規則に関してはジェレミー・テイラーの本であるTwelve Rules of a Helperの影響を受けていると言われる。 規則はジェレミー・テイラーの他にもケーブの『原始キリスト教』(Primitive Christianity)の影響も見られ

る。特にサイモンは最初の1742年から1743年までのアメリカのメソジストの規則はこの本に則っているとする。参考 Frederick Hunter, John Wesley and coming

comprehensive church,Epworth Press,London,1968.p.20.

6 The Letters of Rev.John Wesley, A.M. Standard edition, Ed. John Telford,8 vols,London,

 1931,Letters I,p.20.(以下Lettersと表示)

7 Hunter op.cit.,p.10.ウエスレーはドユッパ(Duppa)主教の『聖餐の前と後の祈祷』と

いうデボーショナルな本を読んでいる。

8 The works of John Wesley, 3rd ed., 14 vols.(London: Wesleyan Methodist Book

Room,1872. Reprint, Kansas City: Beacon Hill Press of Kansas City, 1978),

5:188. (以下worksと表示)

9 Rob L. Staples, Outward sign and Inward grace -The place ofsacraments in

Wesleyan spirituality-, Beacon Hill Press of Kansas City, 1991,p.58.

10 Works 5:p.187.

11 LettersI,p.118.

12 John R Parris, John Wesley's doctrine of sacraments, Epworth Press,1963.,pp.31-32.

13 Jeremy Taylor, The worthy communicant, Ch. VII, Section I, (14) ;vol.XV.p.675.

14 McADOO,op.cit.,p.196.


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