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2017年秋青山学院大学チャペル説教

 

まっすぐな道を行く秘訣 箴言3章5~6節

皆様おはようございます。本日は箴言を開いていただきました。箴言は、ヘブライ語ではマーシャールと言います。英語ではProverb、格言、ことわざという意味ですが、知恵文学と呼ばれるジャンルに属する箴言は、知恵という言葉がたくさんでてくる書です。
 
 私たちが知恵を一番必要とするのは、分かれ道にたった時です。どちらに行くべきか迷う時です。道が4つも5つもある場合、決定するのはしんどいものです。たとえば2人の素敵な方から同じ日にプロポーズされたなら、あなたは困りますね。どちらの道に進むべきか、決断の悩みは尽きません。
 さらに道と言えば、先行き不安の悩みもあります。未来が暗く、まったく道が見えないという場合です。 我が家にはミニチュアダックスフンドがいるのですが、クリスマスに来たのでノエルといいます。ノエルを初めて散歩に連れていった日のことを忘れません。玄関のところから外に出ようとせずに、ぶるぶると震えているのです。これから自分にどのような世界が待っているか、緊張しているのです。最近は特に、世界平和が揺らぎかけている現状ですね。そのような中で平和が今後も本当に維持されるのか。戦争にならないのか。不安を感じない人はいないでしょう。
    
 ところで、箴言の表題には父の諭しとなっています。作者が息子に対して、最も大切な教えをあつく語りかけているのです。にも一人息子がおります。青学出身で放送局に勤めています。息子はすでに成人していますが、どのような道を行くのか今でも心配です。この作者は不安を抱えた息子に対して、神の知恵を求めるように諭しているのが本日の箇所です。

 迷った時に、まっすぐな道を行く第1の秘訣は

 5節にありますように、「自分の分別には頼らない」ということです。
  なぜこう書いているのでしょう。それは、私たちの理解や悟りが、一面的で、自分勝手で、視野が狭く、誤りやすいものだからです。 
ソロモンは、人生の酸いも甘いも経験した人物でした。彼は王であり、金持ちで、多くの妻がいて、当時誰もが羨むような生活を送っていました。しかし、彼は妻の関心を得るために、巨額の金を使って本当の神様ではない、偶像をたくさん造りました。神様はそれに怒り、ソロモンに敵対する者を起こし、ソロモンの心から平安を取り除きました。まさに彼は人生の最高潮も、谷底も経験したのです。

 ソロモンは自分の分別に自信を持っていた人です。神殿建設という大偉業をなした人です。そのような人物でさえ、過ちを犯してしまう。


  キリスト教の伝統では、知恵には2種類があります。それは人間の知恵と、神の知恵です。人間の知恵は、正しい道を生きることに欠かせない人の能力、賢さに関わることがほとんどです。それでも人間の知識は有限です。
 ところが聖書が語る神の知恵は無限であるというのです。神の知恵は人間の知恵をはるかに超えたものなのです。そのような主に出来ることは、誰が自分の最も信頼することのできるかをわきまえるということです。

 それが2番目の、順番的には最初にでてくる 「心をこめて信頼する」ということです。でも「信頼する」とは一体どういうことでしょうか。

 カトリックの司祭で、プロテスタントにも大きな影響を与えている人にヘンリー・ナウエンは本の中で、空中ブランコサーカスのスターに演技についての秘訣を聞いた話を書いています。それによれば、「サーカスの観客は飛び手がスターだと思っているが、本当のスターは受け手です。成功する秘訣は飛び手が何もせず、全て受け手にまかせることなのです。飛び手は受け手に向かって飛ぶ時、ただ両手を拡げて、受け手がしっかり受けとめてくれると信じてジャンプするのです。空中ブランコで最悪なのは、飛び手が自分から受け手をつかもうとすることです。」 
 この言葉を聞いたナウエンは一つの啓示を受けます。「恐れなくてもよいのだ。私たちは神さまの子ども、神さまは暗闇に向かってジャンプするあなたを闇の向こうでしっかり受けとめてくださる。あなたは神さまの手をつかもうとしてはいけない。ただ両手を拡げ信じる事。信じて飛べばよい。」のだと。

 同じ箴言の1章7節に、「主を畏れることは知恵の初め」ということです。この畏れとは、怖がるという意味の恐怖ではなく、神を敬うという意味です。神を自分の従うべき方だと認め、尊敬の念を抱くということです。なぜならば神は人間を生かし、全知、全能であるからです。今はやりの言葉で言うならば、神ファーストであるべきだ。私たち人間が行うべきことは、神の知恵を求めることであると聖書は語るのです。

  第3の秘訣は、「常に主を覚えてあなたの道を歩け。」これは他の訳では 「あなたの行く所どこにおいても、主を認めよ。」(6節) です。
 先ほども申し上げましたように、私たちが知恵という時は、賢さや機知に富むことを意味しているところが多いのではないかと思います。私たちの得意、不得意でアドバイスを求める分野とそうでない分野がありますね。しかし、ここではすべての分野で主を覚えよというのです。
 
     ポールという少年は、ABCも覚えられず、本を読んでも頭に入らない、学習障害の子供でした。多動性難読症といいます。アルファベットが覚えられなかったため8回転校、その内、4校では放校処分を受けています。教師たちからも教育を放棄され、落ち込んでいる時に母からこういうアドバイスを受けます。「いいかいポール、Aの生徒はBの生徒のもとで働く。Cの生徒はその会社を経営する。Dの生徒はその会社を貸すんだよ。」物事には様々な選択肢があるんだよということを学んだのでした。
 高校はビリで卒業、コミュニティーカレッジから大学に編入、本を読んでまとめる宿題は友達に助けてもらい、その代わりにコピーなどの使い走りを熱心にしました。そうするうちに、銀行から5千ドルを借り、コピー屋を開業しました。市価より安くしたので大繁盛して店舗を増やしました。会社名はキンコス、アメリカにいる人なら誰でも知っている、世界的大企業の一つです。なお、「キンコーズ」の名称は、ポール・オーファラのあだ名「髪が巻き毛 = kinky hair」 に由来するそうです。宮益坂にも一軒ありますね。創業者のポール・オーファラは、「何かを始めるとき、絶対に誰かの助けを借りないといけない」と心に思っていました。その姿勢が成功の秘訣なのかもしれません。 

   神に助けを求めることは決して恥ずかしいことではありません。

  その結果何が起こるのか。
     「そうすれば/主はあなたの道筋をまっすぐにしてくださる。」(6節) 

と約束しています。この道は原文では複数です。ということは、さまざまな道はあるが、どのような道もまっすぐにしてくださるのです。

正門に銅像のあるジョン・ウェスレーは、イザヤ35:8にある 「そこに大路が敷かれる。その道は聖なる道と呼ばれ/汚れた者がその道を通ることはない。主御自身がその民に先立って歩まれ/愚か者がそこに迷い入ることはない。」と言われる道を目指しました。大路という言葉を英語でウェスレーは'highway to heaven'と言っています。

神と人との前に真実を持って歩むとき、例え、人間的な弱さによって失敗したとしても、あるいは罪を犯したとしても、神さまがその自分の決断によって曲がった道を、神さまの前にあって、真っ直ぐにしてくださる。つまり、神さまが、自分の罪の責任を負ってくださることを言っているのです。
だからこそ、唯一の救いの神を信じ、失敗を恐れず、神と人との前に真実に歩むことこそが、人間において、最も確かな人生の歩み方であると示されているのです。

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