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2013年青山学院大学ウェスレー回心記念礼拝説教

 

 

私だけでなく神と共に    エフェソ2章8~10節

皆様おはようございます。本日はウェスレー回心記念礼拝です。ジョン・ウェスレーは、正門の横に銅像がある人物です。18世紀産業革命が進行する英国の中で、政治経済的に、また思想的に、精神的に混乱する人々を救って、メソジスト教会の始祖とされた人です。彼は「キリスト者の完全」の教理を説き、愛における完全は、信仰によって、この地上で、今、実現するということを強調しました。
 1738年5月24日にウェスレーは「私は心が不思議に温まるのを感じた。私は、キリストを、キリストのみを救いに関して信頼していると感じた。そして、主が私の罪を、私の罪でさえ取り去り、罪と死の律法から私を救って下さったという確証が与えられた。」と語ります。この日こそ、自分の力だけでなく神と共に生きることの喜びを確認した日でした。

 ウェスレーは愛の人でした。神を愛し、神と共にいることを愛し、特にイギリスにおいて当時の教会から顧みられなかった炭鉱夫たちに伝道した人物でした。なぜ彼は愛の人であり得たか、それは自分だけが良いのではなく神と共に歩むことをあることの幸いを学んだからです。しかし、それがしばしばひとりよがりになることがあるのです。

 私は二部でキリスト教概論を教えてきましたが、忘れられないレポートがあります。Iコリント書13章のキリスト教が愛の宗教であるという嶋田先生の説教への応答として書かれたチャペルレポートです。
 応答:本年入学と同時に第二部聖歌隊へ入り、火曜の夕礼拝に出席している。この6月2日の礼拝も聖歌隊の一員として奉唱というかたちで出席し、壇上にて説教をいただいた。6月2日の説教の内容は、まさに私自身の礼拝直前の行動、心の動きを見透かされたように感じられ、大変恥ずかしく、反省の念を持って拝聴したことを覚えている。
 奉唱のある時はいつも慌しい。6時限目の授業が終わるや否やすぐに教室を後にし、礼拝堂の準備室へ駆け込まなければならない。特にこの6月2日は、いろいろな状況が重なり、心穏やかではなかった。私は、6時限目の授業で、発表の順番が回ってくるかもしれないため、その準備に前の1週間を調査や資料作成に費やしており、出来ればこの日に発表を終えてしまいたいと考えていた。なぜなら、ちょうど次週には、会社の業務のため出張が入る可能性があり、授業を休まなければならなかったからだ。ところが、その6月2日の授業では、私の前の担当者の発表が遅々として進まず、その日のうちに終わらなかった。授業自体は何とか定時に切り上げられ、礼拝準備には間に合ったものの、「授業も業務も、予定が狂ってしまった」という苛立ちを感じずにはいられなかった。そのような気持ちを抱えながら礼拝が始まり、説教に耳を傾けた。そしてまさに、その説教により、自己中心的な、我が心の中を鋭く指摘されたのである。
 どれだけ忙しくなろうとも、再び学びたいという志を貫こうと大学の門をくぐった。大学は、同じ学問を愛する者同士が、共に楽しみ、時には苦労しながらも、知識を追求し、教養を高めていく場である。そこには遠回りや紆余曲折もあるだろう。ところが、私は企業人として求められる正確性、迅速性という物差しでしか物事を判断せず、自分の不十分なところには目を向けず、自分の都合、自分のペースだけを考え、イライラしていた。まさに、他者を重んじ、理解する、思いやりの心が失われていた。この日の礼拝に出席し、説教をいただくことで、自分の至らなさに気づくことができた。私は、この礼拝に「導かれた」という、何か大きな力を感じ、気づかせていただいたことに感謝した。キリスト教的に言えば、この体験は改めて神が導いてくださることに気づいた貴重な証言です。

  ウェスレーもこの自分の正しさをある意味で追求した人です。オックスフォード大学に入学後、あまりにも大学が酔っ払いの学生が多いことに愕然とし、ホーリークラブというグループを作り、慈善活動に精を出し、初代教父の学び、授業の予習復習に精を出します。あまりにも几帳面に時間を設定し努力するのをみて、学友がメソジスト(几帳面や)とあだ名をつけたのがメソジストの名前の由来です。そのように一生懸命自分の正しさを全面に出したジョンでしたが、父の死に出会い、父からジョンよ、自分が何をしたかではなく、真の宗教は心のもちようにあるのだ。聖霊が心にもたらす働きに耳を傾けよとの教えを受けるのです。父の死後、自分を押し通す彼は、父の後をつぐ申し出を断りアメリカに渡りますが、そこで待っていたのは試練でした。失恋を経験し、牧会もうまくいかず失意のもとに帰国します。そこで彼はこれまでの人生を反省し、信仰の原点に立つのです。
        
    事実、あなたがたは、恵みにより、信仰によって救われました。このことは、自らの力によるのではなく、神の賜物です。(エフェソ2章8節)
  
「すべての私たちの業は、神が私たちの中に書かれたものです。」これらは自由な恵みの例は多く存在します。まさに、どのような義が私たちに認められようとも、それは神の賜物なのです。 神の賜物は「信仰により救われた」ということです。この信仰も救いもあなたが自分で為した業に負っているのではありません。「なぜなら私たちは神に救われたものであり」(10節)という言葉は、救いが信仰によることを示しており、その信仰は神の賜物なのです。
     恵みが初めであり、終わりでもあります。これは霊的な高慢や自己を栄光化することの根本に斧をおくことでもあります。人間的な価値に敬意を表さない恵みは栄光ある賜物をもたらします。信仰は、個人の功績への主張がない信仰は、空っぽの手を拡げ天からの祝福を受けるのです。

自分が何者であるかを知らない人は、周りの人に、世間に評価され、賞賛されることを求めます。何故なら、自分が何者であるか分からないために、自分が周りの人からどのように評価されているか、それだけが自分の評価になってしまうからです。しかし、自分が何者であるかを本当に知っている者は、世間の評価によって自分が変わるものでないことを知っています。ですから、その様なことに惑わされたりすることがないのです。自分が生きる本当の意味を知らなければ、人は自分がどのように見られ、評価されるのかということにばかり心を向けざるを得ないのです。しかし、ヨハネはそうではなかったのです。
 自分が何者であるかを知る。それは、自分が何のために生まれてきたのかを知るということでしょう。

ウェスレーから私たちが学べることはたくさんありますが、その結果、彼は多くの人を導き、特に炭鉱夫に伝道をし、メソジスト教会を形成したのです。日誌をつけ、自分の心の中の状態に注意を払いました。そして、多くの弱い人々に関わり社会福祉と福音を両立
彼の死後、1795年、彼の作ったメソジスト会は、英国国教会から分離して米国で「メソジスト派-Methodist」として誕生しました。その後、多くの宣教師たちが日本にも渡ってきてウェスレアンの教理にのっとった福音を伝達して、多くの教団が形成されていきました。そしてこの青山学院大学もメソジストの宣教師たちによって生み出されたのですから、この日に共に礼拝することはとても意義深いものがあると思います。
させたのです。
 青山学院大学も彼に倣い、関東大震災の時に在日韓国人、朝鮮人の方々を匿い、3.11の大震災の時にも体育館を帰宅困難者に開放しました。そのことを引き継ぎ、青山学院大学というウェスレーの伝統をもった大学に通っている自覚をもって歩みましょう。

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