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 ウエスレーは英国教会の出身者であり、又、メソジスト教会の設立者として知られている人物でもある。ウェスレーはアングリカンで育てられた高教会主義者としてのアイデンティティーを色濃く残しながら、様々な思想と出会い、修正し、自分のものとしてきた。一般的にウェスレーの生涯において、第1回目の回心時(1725年)は高教会主義の色彩を残したものとして理解され、第2回目の回心時(1738年)は宗教改革的な福音主義の影響を受けたと語られてきた。(1) ウェスレー神学の特色は、この両面がバランスがとれた形でウェスレーの中で内在していたことにある。

 さて、ウェスレーの中で英国教会への忠誠心は、ウェスレーが一生涯英国教会の中に残ることを希望していた彼の生き方において表明されている。さらに、ウェスレーは生涯のどの時点においても聖餐を強調した。ウェスレーの思想として、聖餐概念がどのように推移してきたかを捉えることは、相異なる2つの側面が存在しているというウェスレーの立場をより深く理解できる鍵となると考える。本論文ではウエスレーの聖餐論に的を絞って論述を試みたい。

 

1.ウエスレーの聖餐理解の推移 生い立ちから

 ウエスレーの聖餐理解は、主にエプワースの牧師館を含む父親の牧会との関係の中に築き上げられたものである。ウエスレーの両親は献身的なアングリカン人であった。当時、英国教会の中には2つの流れ、ピューリタン的なものとハイチャーチ的な要素があったのであるが、ウエスレーはハイチャーチ的な雰囲気の中で育ってきた。(2)

  ウエスレーの聖餐理解において我々が認識すべきことは、ウエスレーの聖餐理解が聖書と歴史的なキリスト教の伝承の中に根差している事である。ウエスレーは8才の時には聖餐にあずかっていた。(3) 彼のめざしていた宗教は「心の宗教」と呼ばれていたが、それは「聖霊の霊感によって私たちの心を清め給え、そうすることによって私たちがあなたを完全に愛し、聖なる名を高めることができるように」という聖餐の時の祈祷書に書かれてある祈りを元にしていた。(4) ウエスレーにとって聖餐にあずかることは、信仰そのものにかかわり、形式的なだけでなく、実際の生き方に影響を与えるものであったことが理解できる。特に聖性に関するウェスレーの興味は強烈である。ウエスレーの最初の聖餐に関する理解は家族の中から与えられたものであった。

  1726年に彼はオックスフォード大学のリンカーン校への忠誠を表現するために毎週聖餐式に出るように決心した。この時期は神秘主義神学者達に近づいた時期でもあるが、ウェスレーは恵みの手段を使用しない神秘主義的やり方に反発している。これはウェスレーの中に高教会主義的な聖餐理解が根付いていた証拠でもある。

 しかし当時のウエスレーにとっては、聖餐にあずかることによって、聖性を保つという儀式的な側面より勝っていた。この時期のウェスレーの焦点は、聖性を獲得する為の「良き業」に焦点が置かれていたのである。彼は聖餐式にあずかることにより、自分の人生が変革されることを望んでいた。(5)  つまり聖餐を受けるという良き業を土台にして義を獲得するという方向性があり、神の恵みを聖餐を通して受け取るという側面が不足している。つまり、聖餐を受ける人間の側に強調点が置かれていた時代であったと言える。

   ウェスレーはオックスフォードでホーリークラブを結成する。この組織は、「聖餐主義者」や「メソジスト」とあだ名をつけられる程、聖餐にあずかることを強調する。当時オックスフォードメソジストの規則は(1)すべてのひとびとにできるかぎりの善を行うこと、(2)機会のあるかぎり、聖餐を受けることであった。聖餐は重要な役割を果たしている。興味深いのは、このの2点は全く別の視点である。しかしこの2点は矛盾なく存在している。しかしこれが真の意味を持つのは後になってからである。

 ウエスレーの内に聖餐に関して大きな変化を起こったのは、1729年であった。英国教会内においても祈祷書の立場ともう1つ別の聖餐論の立場があった。それは、ノンジュラーと呼ばれる人々のグループであった。彼等は祈祷書から離れ、エドワードIV世の第1祈祷書を採用していた。ウエスレーはオックスフォードメソジストのジョン・クレイトンからノンジュラーのやり方を教えられ熱中した。これはオックスフォード大学がノンジュラーの本拠地であった事とも関連する。 

 ノンジュラーの立場の特色の主なものは、キリストの受難と死の想起、エピクレーシス(聖霊降臨の祈り)の存在、キリストの死の犠牲の強調等が挙げられる。(6) エピクレーシスの祈りの存在は、聖霊降臨の祈りにおいて聖められる事が前提とされ、聖餐が人間に対する効果的なしるしのみでなく、神が人間に恵みを伝える恵みの手段になり得る事が確認され、信仰者の心と生活にきよめを起こすということが強調されている。(7) この立場の特色は、儀式を踏まえながらも、儀式にとらわれない自由な聖霊の働きの強調であり、積極的に恵みを受ける神と個人との関係の強調がある。この理解は明確に当時のピューリタンの伝統とは相違するものであり、英国教会の中の信従拒誓者の伝統に立つものであった。筆者は、ウェスレーにおいては、既にこの時期に聖餐を受けることによって人が内面的に変えられていくという側面が見られるように思う。(8) この理解はウェスレーの中で、神の主権を恵みを強調する点において大きな違いをもたらしたように思う。

 ウエスレーはアメリカのジョージアに行く船の中でも毎日聖餐式を行っている。当時ブレビントのカトリック教会の立場の聖餐の本を読んでいる。船上の人々に主の晩餐に関してのデボーショナルな本を読んでいる。 アメリカに到着して1735年10月19日に公式に聖餐式を守る。ウエスレーは英国教会の司祭として聖餐を守り、牧会した。このことはウェスレーが英国教会の祭司としてのアイデンティティーをしっかりと持っていた証拠である。当時ウイリアムソン婦人が教会のつとめを疎かにしたという理由で聖餐にあずかるのを拒否したりもしている。さらには1736年1月12日の日記に、ウェスレーがホーキンス婦人に聖餐を許可した事が書かれてあるが、これには廻りの者が大反対した。ホーキンス婦人の不誠実さは有名であった。ウェスレーは彼女にインタビューを試み、その上で許可したのである。(9) この2例は聖餐受領者の資質が問われていることを示している。

 1738年に彼の第2回の回心が起こる。この後のウェスレーの聖餐に関する見解としては、聖餐の主体は人間そのものではなく神にある。神が恵みの手段である聖餐を用いられる。人はその制定された恵みを受け取ることが重要になってくる。ウェスレーはこの体験により信仰による義認に目覚め、聖化、栄化に至るまで、信仰を保持する手段としての機能を聖餐に与えている。

 ウェスレーは4、5日に1回は聖餐を守った。規則的に聖書を読むことが大切なように主の晩餐に規則的にあずかることの大切さを彼は強調していた。このことは帰国してからメソジスト教会を形成するようになってからも健在であった。多くの場合、メソジスト教徒達を説教した場所から、英国教会の教区教会へ連れて行き、聖餐式に列席させた。英国教会がメソジスト教徒が自分達の教会に出席して、聖餐式に列席するのを拒否した時には聖餐を受ける為の別の方法を考えた。

 ウエスレーの聖餐式への思いは晩年においても健在であり、1780年代においても聖餐受領者の数は増大していく。時には千人近い人々に聖餐を授けることもあった。そこには規模からしてかなりのエネルギーがあったのではないだろうか。聖餐を受けることにより、集団が生かされていく様子が想像できて興味深い。

 以上生い立ちを聖餐と関連する事においてとりあげてきたが、ハイチャーチ的な要素を持つ聖餐理解から、ノンジュラーとの出会いにより新しい聖餐理解がウェスレーの中に生まれた様子。特に神との生き生きとした関係の強調を学んだ事を学んだ。

 回心前と後においては、心前は礼典を守ることによって信仰的に義とされるという意味で礼典を捉えていたのであり、強調点は礼典を用いる人間の側にあったが、回心後は、神が恵みのチャンネルとして恵みの手段を使用することに向けられている。だから信仰者はその恵みを受け取ることが重要になる。ウェスレーの礼典への強調は回心前も回心後も変化していない。ただ恵みの手段の機能が変化したのである。回心後のウェスレーは、恵みの手段を神の主権的な恵みを強め、補助し、信仰者に確信を与えていく儀式として理解した。恵みの手段としての聖餐が行為義認をサポートする為のものとしての機能から、文字通り、神の恵みを伝達する手段としての機能に変化した事が起こったのである。

 

2.聖礼典と恵みの手段

 聖餐論を展開する前に、ウエスレーは聖礼典をいかに理解していたのであろうか。彼は聖礼典を以下のように解説する。

 

 キリストによって定められた聖礼典は、単なるクリスチャン信仰のバッジや証拠では

 ない。それは恵みのしるし、すなわち神の我々に対する好意のしるしであり、それに

 よって神は目に見えない形で我々の内側に働きかけ、信仰を起こすばかりか、それを

 強め、確かなものとする。福音の時代に我らの主によって定められた聖礼典は2つあり、 それは洗礼と聖餐である。(10)

 

 ここには、聖礼典の起源が神であることが宣言される。神が働く時に恵みの手段は有効になる。聖礼典は可視的な「しるし」と不可視的・霊的な「実質」の部分から成り立っていることが書かれている。聖礼典は、その体験を礼典において象徴的に表現するのではなく、洗礼は霊的実質を受ける手段、それを運ぶ管である。そこで約束されている実質とは、“聖霊による再生”、“罪に対して死に、義に対して新しく生まれ変わる”ことである。(11)洗礼がキリスト者としての発起的礼典であるのに対して、聖餐は生まれ変わった生命を保持し、発展させるためのものである。「しるし」と「実質」は同じものではないが、切り離されてはいない。形式的に聖餐や洗礼を受けるのみでは不十分なのである。 実質的な部分が聖餐や洗礼においては問われているのである。実質的な部分が形式的なものによって強化されていく方向性がある。別の言葉で言えば、問題なのは「しるし」自体ではなく、「しるし」を通して伝えられる実質が重要な意味を持つ。

 ウェスレーは主の晩餐を大切に考えたのは、聖餐式にあずかる経験を「しるし」として大切に考えていたからである。実際に聖餐にあずかる時に、人はキリストと交わっており、主の恵みを受けるのだという信念があった。キリストが各礼拝において臨在されていると信じていた。ここに彼の儀式的な側面と霊的な側面とが見事に融合している姿を見ることができる。主の晩餐はキリスト者の霊的成長にとっては欠く事のできないものだったのであった。

 

 この聖礼典の目的は何か。ウエスレーは著作集の中で

 

 「聖礼典の目的はキリストの死をパンを食し、ぶどう酒を飲むことにおいて続けて思

 い出すものであり、聖餐はキリストの体と血の内的な恵みの外的なしるしであり、我

 々が同じものを受け取る手段である。」としている。(12)  (筆者下線)

 

 聖礼典の目的は「キリストを思い出す」ことである。神に恵みを与える主権があるという確認でもある。人間の弱さがあるが、それを支援する神の恵みがある。またそれと共にキリストの苦しみとの同一化が存在する記念的な意味合いが見られる。聖餐を通してキリストの贖いの恵みが伝えられる。キリストの犠牲を思い、犠牲の結果与えられた救いをもたらす。また聖餐は人間の弱さを覆うものである。人は自分の信仰を保つことが自分の力では不可能である。キリスト者は、自分の弱さを覆う神によって制定された恵みの手段を使用して自分の信仰を保つのである。聖餐にあずからないと恵みは消されてしまう可能性もある。 さらに「思い出す」ことは信仰者の側でキリストの犠牲を受容することも意味する。

 それでは、傍線をふった「内的な恵みの外的なしるし」という意味は何なのだろうか。ウェスレーは人間の内で働く神の恵みを強調した。この内的な恵みが、外的な恵みの手段である聖餐等によって強化されていく道筋がある。内的な恵みを引き上げる、そしてサポートしていく恵みの手段の強調がある。

 

 ウエスレーは続けて語る。

 

 「恵みの手段ということにおいて、私は外的なしるし、言葉、行為、神に制定された

 ものであり、この目的の為に人に伝えられる。人が恵みから落ちるのを妨げ、人を義

 と認め、聖化する一般的なチャンネルである。」としている。(13)

 

 ここには恵みの手段を「信仰を確信する儀式」と捉えたのみならず、「回心をすすめる儀式」としての理解が存在する。(14) また、この恵みの手段は神と人との交わりというよりは、神の恵みを人に伝達する手段ある。ウェスレーにとって、恵みの手段にあずかることが重要であり、欠くことのできないものであることを理解できる。聖餐にあずかることにより新しい生き方を与えられ、人は変容していくのである。それは聖化へとつながっていくことは言うまでもない。

  

 3.ウェスレーの聖餐理解 

 ウェスレーは聖餐自体に関してはどのような意見を持っていたのだろうか。ウェスレーは恵みの手段の定義において述べたように聖餐を恵みを伝達するものとして捉えていた。(15) またウェスレーはカトリック教会の化体説を否定していた。(16) さらにルター派の共在説をも否定する。これは以下のウェスレーの言葉をみればはっきりとしている。むしろウェスレー神学者の間ではウェスレーの聖餐に関する立場はカルヴァンのそれと近かったという説が強い。(17)

  ウエスレーの最も顕著な聖餐に関する見解は以下のものである。

  

 聖礼典に関して彼やあなたの判断に同意するには1つの思考だけで十分である。我々

 はキリストの人間性がその中に現れることを共在説や実体変化説という立場をとると

 いうことにおいては承認することはできない。しかし1つとなる作法は神にはそうで

 はないが、ふさわしい受領者である私にとっては全く神秘的なものである。しかしキ

 リストの神性は我々とつながっていると固く信じる。(18)  

  

 パリスはこれを3つの基調があるとする。1)実体変化説と共在説の拒否 2)穏健カルヴァン主義(どのように神性があらわれるかは神秘的であるとする箇所)3)何が起こっているかはわからないが、我々がそれを体験できることである。(19) この最後の立場において、体験に重点を置くウエスレーの姿を垣間見ることができる。

 ウェスレーの立場において忘れてはいけないのは、アングリカンにとっても共通の立場であった真臨在の教理が存在することである。 真臨在とは何か。パンとぶどう酒はキリストのしるし以上のものとして受け入れられる。 パンとぶどう酒は外面的には変化しないが、聖霊の力において内面的にはキリストと1つとなり、受領者の内面的変化が起こる。キリストの体は量的に理解できないし、ある特定の場所にのみあらわれるものではない。しかし聖餐の中で神秘的に礼典的にあらわれる。(20) ツヴィングリのように象徴的にあらわれるのではない。ウェスレーは語る。「聖霊を通して与えられる真臨在による聖別されたパンのキリストの体との神秘的な関係は、キリストの体を意味するのに十分に値する」。(21) 聖餐はキリストの神性の臨在なのである。このような理解の仕方を聖餐の霊的解釈と呼ぶこともできるのではないだろうか。聖餐を受ける時に、さらに犠牲の概念が存在するがここでは詳述しない。(22) 

 ウエスレーは全体的にはカルヴァンの立場に近く立ちながらも、聖餐は単に儀式としての側面よりも神の恵みを伝達する手段として捉えられていることがわかる。恵みの手段としての聖餐は信仰者に新たな信仰の次元ををもたらす霊的なものとなる。

 

4.聖餐と救いの順序

 ウェスレーには救いの順序が存在する。ウェスレーは救いの順序について、「救いは先行する恵みと共に始まり、悔い改め、義認、聖化と続いていく」と述べている。(23) ウェスレー研究家で聖餐論を記したボーゲンはウェスレーが聖餐において独特の機能をもたせており、それが救いの順序の中でいかに働くかについて以下のように述べている。

 

  ウェスレーは、洗礼、主の晩餐を伴う統一された礼典の教理を持つ。神学的(実

  践的)礼典の重要性は洗礼、主の晩餐に独特の機能を持たせていることに表現さ

  れている。つまり救いの順序の中で、それらは1)効果的なサインとして 2)

  効果的な恵みの手段として 3)来るべき栄光の保証として、犠牲の概念と共に

  機能している。(24)

 

 第1に聖餐はウェスレー神学の基礎概念である先行する恵みとも関連している。先行する恵みが主の晩餐において伝えられるのである。(25) ウェスレーは先行する恵みをすべての人に与えられている恵みとして捉えている。しかし人は先行する恵みを失うことも可能である。また意識的に恵みを消してしまう可能性がある者として描かれている。失った人間は、もう一度先行する恵みを受け取る必要がある。聖餐を受けることにより、失いかけていたり、失ってしまった先行する恵みを受け取り直す(初めの愛に戻る)ことが起こる。先行する恵み(prevenient grace)は恵みから落ちるのを防ぐ(preventing grace)という意味もある。聖餐は人が恵みから落ちるのを妨げる恵みの手段である。

 ウェスレーは主の晩餐が悔い改めを含んでいると信じていた。真実に悔い改めて、愛において生かされる時にキリスト者は恵みにおいて成長すると信じていた。ウェスレーは、聖餐式を救いと恵みの体験の頂点的なものと考えていたのである。聖餐にあずかることにより、回心することが起こる恵みの手段として聖餐を捉えていた。(26)   この信念にはもう1つの問題提起があった。ウエスレーにとっては、聖餐は救われて確信を持っている人のものだけでなく、名目だけのキリスト者が聖餐にあずかることによって回心する機会にもなっていくのである。「確信を与える儀式」としてウェスレーが聖餐をとらえたのは、聖餐を受けることによって回心が聖餐受領者の内に起こることを示した。説教と同じように聖餐は福音的な回心を与える恵みの手段となるのである。彼は聖餐を受ける人の悔い改めを強調する。

 ウェスレーは1720年にオックスフォード大学に入学するが、ジェレミー・テイラーの見解である「人は自分が救いの状態にあることを決して知ることは出来ない」という思考が以下のジェレミー・テイラー見解と矛盾するということを語っている。少し長くなるが引用したい。

 

 主の晩餐においてすべてのメンバーは首長であるキリストとつながっている。つまり

 聖霊は私たちが祈り求める恵みを与え、私たちの魂は不滅の本質を持つ種を受け取る。(この後はウエスレーのコメントである)

 さて、今や確実に、これらの恵みは私たちが持っているかどうか認識できないような

 小さい恵みではなく、もし私たちがキリストの内に宿るならば、キリストも私たちの

 内に宿る。この事は私たちが再び生まれなければそれを経験することはないというこ

 とであろう。もし彼(テイラー)の意見が正しいならば、私は大きな間違いを犯して

 きたことになる。というのはもし私がふさわしく(例えば信仰、謙遜、感謝を持って) 聖餐を受けているとしたならば、私の以前に犯した罪は実際赦されるからである。私

 が言おうとしていることは、私が再び罪に転落しない限りは、少なくとももう1つの

 世界において、私に対する裁きの中でも復活において救いは保証されているというこ

 とである。しかしもし私たちが救いの状態にいることを確信できないのであれば、毎

 日喜びではなく、恐れを持って震えながら過ごすことになる。そして私たちはこの世

 の中で最もみじめな人間である。 (27)

 

 ここにはウエスレーが聖餐式に出席することにおいて、第1に主の晩餐は信仰者の内に何かの効果をもたらす恵みの手段であることと、第2に罪の赦しを確信できるという積極的な聖餐観が表われている。ウエスレーが聖餐を「義認の恵みへと導くことができる礼典」としてとらえていたことを意味している。聖餐を通して信仰者は、この世で実感できる救いの経験にあずかるのである。

  ウェスレーは以下のようにも語る。

 

 主の晩餐は神の恵みが欠けており必要としている者や、赦されたいと望む者や、神の

 像に似るように魂を新しくしたいという者の為に制定されたものである。(28)

 

 ウェスレーにおいては、信仰者は罪に陥ることがあるのであり、恵みの手段としての主の晩餐を通して、罪ある者も恵みを受け取ることが許されている。聖餐受領者の資質が問われる反面、彼は誰でも熱心に求める者に主の晩餐は開かれている。ここに筆者はウェスレーの聖餐神学の開放性が存在すると思う。このことはウェスレーが聖餐を求道者にも開放しているという事実にあらわれている。(29) これはウェスレーの中において大きな変化が起こったことを示す。ウェスレーは、改悛しない人々、罪が習慣的になっている人々に対しては、強い姿勢で資質を問うが、真に悔い改め、罪の赦しを求める人々は、誰でも聖餐を通して、恵みに導かれていく。前述の先行する恵みの概念とも重なるものがある。ウェスレーの手紙や著作集には、人々が主の晩餐を受けて、祝福された例が存在する。積極的な聖餐理解が見られる。 (30) 

 ウエスレーは恵みの手段を「聖霊が神の子の魂に伝えられる最高の手段である。」(31) とするが、ここには聖餐にあずかることによって聖霊が与えられるという理解が存在する。聖霊を通してキリストが我々の中に臨在し、我々と神は1つとなる。この生き生きとした関係が聖餐において可能となり、我々は聖霊に満たされることによって、キリスト者としての生活をなしていくことができるのである。聖餐を受領する時は、聖霊の働く時でもある。聖餐の教理は聖霊の教理と離れては存在しない。エピクレーシス(聖霊降臨)の祈りが不可欠な理由がここにある。新生したキリスト者は、聖餐を受けることにより力を受けて、信仰的に成長する聖化の道を前進していくのである。恵みは神より与えられるものであるという考えがある。

 それ故に受領者は恵みの手段である主の晩餐が効果的な恵みの伝達手段であることを信じて、機会あるごとに受け続ける必要がある。そうでないとそれは何らかの喪失を意味する。(32) しかし、常に受けているからといって安心してはならない。聖餐を受けると、それがそのまま、カルヴァンのような最終的な堅忍の教理へとつながるのではない。

 聖餐はさらに共同体的結束を意味する。ウエスレーには聖餐における成就された終末論とも言えるものが存在している。聖餐に与る時に、信仰者の中では救いの実現が起こる。聖餐にあずかる時に聖霊が信仰者の心の中に満ちあふれ、神の恵みの真臨在が起こる。これはメソジストの中にあふれていた活力の源であった。それはこれまで述べた通りである。この事は信徒を一体化する。喜びと勝利のしらべがウエスレーの聖餐論の中にはある。ここから生みだされるのは、終末の先取りがここではじまっており、神の国の到来は実現されたものとしてわれわれのものとなるのである。 聖餐は終末時の「聖者たちとの晩餐」の教理と結び付けられている。

 このように、ウェスレーにとって聖餐は最初の恵みから最終的な恵みへと信仰者をもたらす恵みの手段であり、目標を持っている。さらに、聖餐を受けると言っても、聖餐自体に恵みを与える効力があるのではない。実際に恵みを与えるのは神であって、神の恵みが聖餐という恵みの手段を通して与えられる。そしてこの恵みの手段はキリスト者の信仰の過程全域に関わっているのを見た。

 

四. 聖餐論的改革

 当時英国教会内における聖餐式の実際はどのようなものであったのだろうか。ヘルンフートのモラヴィア兄弟団のペーター・ベーラーは、英国教会の聖餐式を見て、儀式的な要素のみが強調されていることに衝撃を受けた。ウェスレーは儀式的なものにどれだけ耐えられるかを告白し、賛美歌を使用したりすることを強調する。(33)   

 ウエスレーの行った聖餐式も英国教会のそれと全く同じであったかということについては、ウエスレーはいくつかのアレンジをしている。例えば賛美歌を付加したりしている。ウエスレーが礼拝を行う時に、彼は自然発生的な要素(感動して神を賛美していく等)を強調していたことが拝察できる。聖餐においてもウエスレーはベーラー等の影響を受けているように思う。

  さて、ウェスレーにおいては聖餐にもう一つの機能をもたせている。それは聖化とも関連するのであるが、社会的な関わりを恵みの手段にもたせているという事である。ウエスレーは以下のように語る。

 

 しかし、これ[御言葉、聖餐、祈り、断食]だけが恵みの手段であろうか。ほかに、

 それによって神が喜ばれ、往々にして、いや通常、神を愛し恐れるものに恵みを施す、〈手段〉と呼べるものはないのか。確かにあるではないか。敬虔の業ばかりか、慈愛の

 業も、正真正銘、恵みの手段である。(34)

 

ウェスレーにとっては聖餐等の敬虔の業と実際に社会的な視点をもって行動していく慈愛の業の両面を恵みの手段として強調している様子が理解できる。敬虔の業は神と自分との関係を指し、慈愛の業は、隣人のための愛の行動を指す。慈愛の業とは何か。具体的に言えば、

 

 隣人の身体と魂に関連するもので、飢える者に食物を与え、裸の者に衣服を着せ旅人

 をもてなし、牢獄にいる者、病気の者、さまざまに苦しむ者を訪問し、学業のチャン

 スがなかった者を教え、愚かな者の目を覚まし、生温いもの研ぎすまし、ふらついて

 いる者を確かにし、弱っている者を慰め、誘惑の中にいる者を助けだし、魂を死から

 救い出すことにあらゆる方法で貢献すること (35)

 

である。ウエスレーにとって重要なのは、敬虔の業は慈愛の業の両方が必要であるとすることなのである。この2つの業はウエスレーの中ではどちらも犠牲にされることなく両立しているのである。

 両方の業に共通することは、自己否定の上に成り立っているものである。これは筆者には律法的な要求のように聞こえないわけではない。しかしキリストの愛が基礎であることを覚える時に、愛に基づく教理であるが故に自己否定は律法的要求とは次元を異にする。

 この2つの関係はどうであろうか。ウエスレーの中には常に敬虔の業から慈愛の業へと進んでいく順序があるようにも思う。信仰が行いを生みだし、業によって、信仰の活力が奮い起こされ、増幅していく順序があるように思う。 しかし慈愛の業を通して出ていった者が、さらに聖餐を定期的に受けることにより、自分の信仰を確認し、聖化されていく両方向性があるとも言える。一方通行ではなく、両通行のダイナミックスがあるともいえる。

 ウェスレーは霊的な成長は自動的に起こるのではなく、偶然でもないことをこれにより示している。神は恵みの手段を通して成長を与えられる。キリスト者としての教育における成長は感情ではなく聖餐を守るという忠実さにおかれている。信仰の成長を助長する恵みの手段はウエスレーにとって欠くべからざるものである。

 

  ウエスレーは信仰者として注意すべきことを以下のように語る。

   

  神の御名をむなしく使うこと、聖職者が普段の仕事をしたり、売買をしたりして主

  の日を汚すこと、蒸留酒を売買したり、それを飲むこと(緊急でそうすることが

  必要な場合は除いて)・・・、兄弟を法廷に訴えること、悪に悪を報いること、

  高利で金銭の貸し借りをすること・・・、愛のない無益な会話、特に政府の役人

  や牧師の悪口を言うこと・・・、金の装飾品や高価な衣装を身につけること、

  放縦を許容し、それにふけること、地上に富を蓄えること。(36)   

 

 

 筆者はウェスレーにって聖餐を受けることが、生の改革につながっていった点を見過ごしてはならないと考える。ウエスレーはこれらの手段を英国教会自体を活性化する為に用いており、英国教会の礼拝が豊かになることを願っていたことを忘れてはならない。

 

5.結語

 筆者はウエスレーが考えていた聖餐論において、英国教会の中に1つの改革をもたらしたと考える。ウエスレーには順序があり、神によって救いを得たものが社会に遣わされていくという方向性がある。そこには1つの前提があった。それは、キリスト者は、聖餐を定期的に守ることによって、断食等の恵みの手段を使用することによって自分の信仰を常に新たにし、世に遣わされていくという概念である。聖餐は恵みの手段として、キリスト者の信仰を引き上げ、生に改革をもたらし、新しい生き方を与えていくのである。この意味で考えると、ウエスレーが奨励した聖餐には、キリスト個人を社会とつなぐかけ橋としての役割を考えていたのではないかと考えることができる。

 特にウェスレーにおいて特筆すべきことは、英国教会を中心としたハイチャーチ的な儀式的な側面と、人生を変革するという福音的な側面が見事に一致しているという事である。神の言葉を強調するプロテスタンティズムでは、恵みの手段としての聖餐の重要性はウェスレーと比べて限られたものとなってきているのではないだろうか。ウェスレーは恵みの手段を強調する場合に、神の言葉も含めて主の晩餐を調和する形で強調してきたように思う。しかしわれわれはいつの間にかそれを、神の御言葉のみを中心に考えてきたのではないか。聖餐式の回数も、年に6回や4回等と少なく、聖餐的理解は為されてこなかったように考える。

  以上のような背景を考察すると、ウエスレーが英国教会の中に聖餐論的なリヴァイヴァルをもたらそうとしたという理解を持ってウエスレーの役割を再評価することもできるのではないだろうか。 

  一般的に言えば、「聖餐主義」と「福音主義」は反対概念である。前者はリタージカルな面が強くて、静的な印象を受ける。逆に後者は動的な伝道の行動を表現しているように感じる。ウエスレーにおいては、英国教会の中にあった聖餐概念を乗り越えるものをもたらした。つまり、ウエスレーの中ではリタージカルな聖餐概念と動的な伝道をしていく概念はつながっているのである。聖餐にあずかることによって私たちは、新たに創造されて、変容して聖化の恵みあずかり、その聖化はまわりの人に伝わっていく。敬虔の業と慈愛の業のバランスが今ほど求められている時代はない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(1) この立場としては野呂芳男氏をあげることができる。氏はウェスレーの神学を楕円の神学と呼び、高教会的要素と宗教改革的要素の両面から考察する。野呂芳男、『ウェスレーの生涯と神学」、日本基督教団出版局、215頁参照。

(2) John R. Parris, John Wesley's doctrine of sacraments, Epworth Press, 1963, p.11参照。

しかし父親のサムエルは聖餐に関しては頻繁には行っていなかったらしい。しかし彼は実体変化説を拒否しており典型的なアングリカン人であると言える。母親スザンナはこれに対してピューリタン的な影響を持った人であった。

(3) Frank Baker, John Wesley and the Church of England , Abington Press, 1970, p.342参照。 彼は注の中でJoseph Benson, An Apology for the people called Methodists, London, 1801, p.I.より引用している。その他にも何人かの書物をあげている。この時母親スザンナはかなり準備して受けさせた。

(4) Donald A. D. Thorsen, The Wesleyan Quadrilateral - Scripture, Tradtion, Reason & Experience as a model of evangelical theology-, Zondervan Publishing House,1990, p.152参照。

(5) The Journal of the Rev. John Wesley, A.M. . . . Enlarged from Original Manuscripts, 8 volumes, London, The Epworth Press, 1909-16. Edited by Nehemiah Curnock, vol II, p.262 , 及びIII: p.262参照。ここでウェスレーは,当時の事を回想して「私は根本的に教皇主義者であった。それを知らなかった。そしてパリサイ的な生き方をしてきた」と語る。(以下Journalと記す)

(6) Frederick Hunter, John Wesley and the coming comprehensive age, Epworth Press, 1968, pp.61-63参照。 

(7) Ole E. Bogen, John Wesley on the Sacraments - A definitive study of John Wesley's theology of worship-, Zondervan, 1972, pp.74-75参照。

(8) この相違はカルヴィニストの伝統に立つピューリタンとアルメニアンの伝統に立つロード派との相違でもあるが、英国教会の中にとどまりつつ、聖餐論的改革を起こそうとしていたウエスレー像を見ることができるのではないだろうか。

(9) Journal, vol I , pp.135-136参照。

(10) The Sunday service of the Methodists in North America ,London:Stratan, 1748, p,311参照。

(11) 藤本 満、『ウェスレーの神学』、福音文書刊行会、1990年、349頁参照。

(12) The Works of the Rev.John Wesley, A.M. 3rd edition ed. by Thomas Jackson(14 volumes), London: Mason, 1829-31, Volume V, p.188参照。(以下Worksと記す)

(13) Works V, p.187参照。 ウエスレーは恵みの手段を大きく2つに分ける。これはオックスフォード時代の友人である、ノーリスのTreatise on Christian Prudence(1710)に従い、「神によって聖書に制定されている手段」(instituted means)と「経験や思慮によって推薦されている手段」(prudencial means)である。前者は聖書の学び、聖餐、断食、祈り、礼拝出席、信徒の交わり、集会を守ることであり、後者には、自己吟味、日記をつけること、黙想、信仰書、特に霊的な書物の読書があった。

(14) Journal II, pp.361-362参照。

(15) The Works of John Wesley (Oxford/Bicentenial Edition), Clarendon Press, 1975-83; Abington Press, 1984-, Volume 1, p.389参照。(以下BE Wroksと記す)、ウェスレー著作集上、説教「恵みの手段」III,12、新教出版社、1980年版、324頁参照。 

(16) Works X, p.118参照。

(17) Rob L. Staples, Outward sign and inward grace -The place of sacraments in Wesleyan Spirituality, Beacon Hill Press, 1991, p.224参照。

(18) The Letters of Rev. John Wesley, A.M. Standard Edition, Ed. John Telford, 8vols, Epworth Press, 1931, Vol I, p.118 参照。 (以下Lettersと記す)

(19) Parris,op.cit.,pp.31-32参照。

(20) H.R. McADOO, The Eucharistic theology of Jeremy Taylor today, The Canterbury Press,

1988, p.79参照。

(21) Works V, p.280 参照。

(22) これに関しては、拙論 「ジョン・ウェスレーとジェレミー・テイラー、-聖餐概念を中心として-」、日本基督教短期大学、紀要、1997年を参照。

(23) Works VI, p.509参照。

(24) Bogen, op.cit., p.47参照。

(25)「ウェスレー神学における先行する恵みの役割」神学思潮 X 1991年 日本ナザレン神学校神学研究会  ウェスレー神学における先行する恵みの役割に関しては、拙論を参照されたし。

(26) Baker,op.cit.p.100参照。

(27) Letters Vol I, p.20参照。

(28) Journal II,p.362. このような分析はボーゲンも行っている。Bogen ,op.cit.,pp.196-197参照。

(29) Journal II, p.314. 1739.11.7の日誌、藤本、前掲書、363頁参照。

(30)  Journal II, pp.279-280. Journal V, p.162. Works XIV,p.263参照。

(31) Edward H. Sugden, Wesley's Standard Sermon, London, Epworth Press, 1961, Volume1, p.440参照。

(32) Letters VI, p.172参照。

(33) M.シュミット、,『ジョン・ウェスレー伝 -回心への内的発展-』(高松義数訳)、新教出版社、1985年。268頁から271頁参照。

(34) BE works III, p.385、 説教「病人を見舞うことについて」On visiting the Sick、i,1参照。.

(35) BE Wroks II, p.166. 説教「救いの聖書的方法」 The Scripture Way of salvation, iii,10, 訳は藤本、前掲書、245頁参照。

(36) Works VIII, p.270参照。

ウェスレーの聖餐論

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