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2018年11月4日 下北沢ナザレン教会にて

①おはようございます。今年も11月に入り後2月となってきました。本日は以前「恐れを克服する」という題で語りました内容を別の視点から学びたいと思います。
 本日は民数記からカレブについて学びたいと思います。 カレブは出エジプト時代に活躍した人物です。この物語はヤコブ一族が飢饉を逃れて、カナンからエジプトへ行った時から400年~450年たった時のことです。神は、この時イスラエルの民をエジプトの捕囚から解放してカナンの地を獲得させる為に荒野を導いて通らせました。
 カナンはこの事件が起こる何百年も前に神がアブラハムと彼の子孫に与えると約束された地です。イスラエルの民がカナンの近くに到達した時、初めてカレブが登場してきます。神はそれ以前にも飢饉や敵の手からの救出といった一連の出来事を通してイスラエルの人々に自分の偉大な力と愛を示されたのです。

② カレブとは?
 カレブは父祖の部族で司たる者でありましたからこの偵察員に選ばれました。この人たちはカナンの地を探り、民の様子(戦って勝てるか)地の利はどうか。そこに居住しても大丈夫か。攻めにいくかどうか。そして食料の確保の為に人々を派遣します。彼らはその土地に入ります。そして40日後にぶどうを収穫し、その町が素晴らしい環境にあるが、民は強く、守りは堅固で攻めにくいと意気消沈して帰ってきます。ぶどうが大きいのが有名ですね。

③カレブの主張
 カレブがその指導力を発揮したのはそのような時です。彼は30節で「断然上っていくべきです。そこを占領しましょう。必ず勝てます」と断言しています。しかし、仲間はそれを無謀な計画であり、攻め落とすことは出来ないと首長し、カレブと同調しません。仲間はずれにされて自分の立場をもう一度考えたことでしょう。勇士不在が起こっていたとも思いますし、カレブは誰も賛成してくれず孤立していたという感じでしょうか。

④意見の対立があったときにどうするか
 私達も、皆と意見の異なる時に、どのように行動していいか迷うことがありますね。自分の意見を押し通して突っ走り、相手を傷つけたりという場合もあるでしょう。なかなかうまくいかないこともありますね。一度提示してじっくりと他の人の意見を聴くという手もあります。しかし、多数派の意見がいつも正しいかというと、そうとも言えないのです。
私はとても優柔不断のところがありますから、本質的なことにはこだわりますが、一般的な事柄には柔軟に相手にあわせる場合もあります。ウェスレーは、物事を本質的な問題とただの意見とに分け、本質的な問題にはこだわるが、他の人の意見を尊重するという立場をとりました。

⑤ 妥協というやり方でないカレブの選択
 もう一つは妥協するという選択もありました。いろんな人の意見があり、自分の価値基準が一番だと思っている人々がぶつかり合うことはしばしば経験することです。妥協すれば、その場しのぎにはなることでしょう。しかし、その決断が本当に民に良い結果をもたらすかどうかは不明です。
 カレブはこの問題が、イスラエル民族にとってとっても本質的で、民行く末を決めることであることがわかっていました。さらに大切なことは、主がこの土地を与えてくださるという約束がありましたから、彼は信念を持っていました。カレブの言葉に勢いがあります。 「断然上っていくべきです。そこを占領しましょう。必ず勝てます」主の約束を信じていたのです。確信の強さがわかります。最も重要なのはどこに根拠を置いているかです。己の常識、経験だけに根拠を置いていますと、それがすべてに通用するのは至難の業でしょう。

⑥民の反応VSカレブの確信 
 しかし、民はそれほど素直ではありません。14章において、この10人の斥候の悲観的な報告にイスラエルの民は泣き、叫び、つぶやいている様子が描かれています。エジプトに残ることの方が良かったのではないかと過去のことばかりを美化する場合もあるのです。彼らはエジプトに帰ろうとまで言い出すのです。これは気をつけなければなりません。目標を目指して、神さまを信じて旅だったのが現実を見てつぶやくのです。そして一瞬にして私たちは自信を失っていきます。今まで勢いがどこかにいってしまったようにシュンとしてしまうのです。
 カレブは指導者としてのスキルを試されているのですね。これだと思って提案してことを拒否される。これもまた現実です。しかし、ここで再びカレブは立ち上がるのです。ヨシュアとカレブは衣服を裂いて訴えます。衣服を裂くとは決意の表れですね。全身全霊を込めてカレブは訴えるのです。それが14章7~9節です。
 14:7 イスラエルの人々の共同体全体に訴えた。「我々が偵察して来た土地は、とてもすばらしい土地だった。
 14:8 もし、我々が主の御心に適うなら、主は我々をあの土地に導き入れ、あの乳と蜜の流れる土地を与えてくださるであろう。
 14:9 ただ、主に背いてはならない。あなたたちは、そこの住民を恐れてはならない。彼らは我々の餌食にすぎない。彼らを守るものは離れ去り、主が我々と共におられる。彼らを恐れてはならない。」
 カレブの根拠はこれです。主がともにいてくださるから。恐れるのは民ではなく、主だ!これがカレブの主張でした。

⑦民が為す一つの選択
 このことは民衆にとっては一つの選択を迫ることになります。この二人と斥候10人の意見が対立しているのです。民衆は、この敵が強く、簡単には負かすことの出来ないことを知っています。この状況でどちらを選択するか。恐れを優先するか、主を優先するか、民の心は揺れたことでしょう。反対がある、反対が強いというのは、マイナス面ばかりではありません。自分が正しいことを言っているから反対されるということもあるのです。まさにこの場合はそのような状況でした。ここでカレブとヨシュアは、9節にありますように「主に背いてはならない。」ということを強調します。民を恐れないで主こそ敬いなさいという信仰が背後にあるのです。
 しかし、残念ながら、これほどの説得にもかかわらず、民は二人を石を撃ち殺そうとするのです。しかし、この結論は彼らにとってとんでもない災難となることがわかりませんでした。

⑧民のわがままをかなえることによる裁き
その時です。「主の栄光が現れこの民に疫病を下す」と言われるのです。信仰のない民は神の民ではあり得ないからです。しかし、モーセとアロンが説得して神は思いとどめられます。しかし主は 14:30 わたしが手を上げて誓い、あなたたちを住まわせると言った土地に入ることはない。ただし、エフネの子カレブとヌンの子ヨシュアは別だ。」と、自分に従えない民が一人でもいると誓った土地は見ることが出来ないと断言されます。それは人々への大きな裁きでした。時として、神は、私達のわがままを希望通りにさせてくださることにより裁きをお与えになるのです。これはとても考えさせられることですね。わがままを押し通させて、自分の決断が悪い結果として自分に帰ってこないと人は学習しないということもあるでしょう。この10人の斥候の判断は、彼ら自身と彼らが代表している人々に対して、死を招く結果を及ぼしているのです。自分の知恵だけで判断し、主の頼らない時に常に愛する者をまきぞいにする可能性があるのです。
   民は主が生きて働いておられる方であることを忘れていたのです。その苦しみの中にも主の栄光があることを忘れていたのです。主は生きておられるのです。
それがこのカレブとヨシュアの警告だったのです。主にそむいてはなりません。主を忘れるところには主の裁きがあるのです。

⑩ 従うだけでなく従い通す必要
 しかし主はカレブと他の人の違いを違った心を与えられました。これは、主に対する心の持ち方が私達を決めるということです。 民数記32章10~12節を開けてください。
32:10 その日、主は激しく憤り、誓って言われた。
32:11 『エジプトから出て来た者のうち二十歳以上の者は、一人として、わたしがアブラハム、イサク、ヤコブに誓った土地に入らせない。わたしに従いとおさなかったからである。
32:12 ただし、ケナズ人エフネの子カレブとヌンの子ヨシュアは別だ。彼らは主に従いとおしたからである。』
神はここで、ヨシュアとカレブを全く神に従うか、従わないかという2つに区別しています。さらに私達は主に従うことと、従い通すことの区別を見ることができます。従うこと自体は勿論大切なのですが、、困難な時にいかに従い通すかが私達一人ひとりの人生、信仰生活を決めます。
 私がこの立場に立ったとしたら一体どうだろうかと思います。目標につけない。目標はすぐそこにあるのにそこにたどりつけない現実。記録の壁等いろんな壁がありますが、特に私は現実にのみ目が行きがちで、すぐへこたれるのですが、主がどんな時にも助けてくださることの大切さを思います。従い通す時に、また、カレブが従い通したが故に、彼と彼の子孫はその地を受け継ぐものとされたのです。皆さん一人一人が従い通す時に、皆様のご家族が主の約束の中に入れられるのです。

⑪ 人生の回想
さらにヨシュア14章6~15節をお開きください。
 14:6 そのころ、ギルガルのヨシュアのもとにユダの人々が来た。その一人ケナズ人エフネの子カレブがこう言った。「主がカデシュ・バルネアでわたしとあなたのことについて神の人モーセに告げられた言葉を、あなたはご存じのはずです。
 14:7 主の僕モーセがわたしをカデシュ・バルネアから遣わし、この地方一帯を偵察させたのは、わたしが四十歳のときでした。わたしは思ったとおりに報告しました。
 14:8 一緒に行った者たちは民の心を挫きましたが、わたしはわたしの神、主に従いとおしました。
 14:9 その日、モーセは誓って、『あなたがわたしの神、主に従いとおしたから、あなたが足を踏み入れた土地は永久にあなたと、あなたの子孫の嗣業の土地になる』と約束しました。
 14:10 御覧ください。主がモーセにこの約束をなさって以来四十五年、イスラエルがなお荒れ野を旅した間、主は約束どおりわたしを生き永らえさせてくださいました。今日わたしは八十五歳ですが、
 14:11 今なお健やかです。モーセの使いをしたあのころも今も変わりなく、戦争でも、日常の務めでもする力があります。
 14:12 どうか主があの時約束してくださったこの山地をわたしにください。あの時、あなたも聞いたように、そこにはアナク人がおり、城壁のある大きな町々がありますが、主がわたしと共にいてくださるなら、約束どおり、彼らを追い払えます。」
 14:13 ヨシュアはエフネの子カレブを祝福し、ヘブロンを嗣業の土地として彼に与えた。
 14:14 ヘブロンはケナズ人エフネの子カレブの嗣業の土地となって、今日に至っている。彼がイスラエルの神、主に従いとおしたからである。
 14:15 ヘブロンはかつてキルヤト・アルバと呼ばれていたが、それはアナク人の中で最も偉大な人物アルバの名によるものであった。この地方の戦いはこうして収まった。
 
これはこの時から45年後、カレブが85歳の時にギルガルにおいて起こった出来事です。カレブは7節で自分が斥候であったことを回想し自分の信ずるところに復命したと述べています。そして、わが神である主に従いました。自分の報告は神からきたものであると語っているのです。私達は本当にこの主に従ったことがカレブのその後の人生の大きな支えであったことに気づくのです。苦しいことは他の10人と同様ですが、、85歳の彼が体も丈夫であり、あの時の力に劣らず、どんな働きにも戦いにも耐えうるとという力があるのです。主がカレブを生かしてくださる。生きながらえさせてくださるというのです。ここでカレブはアナキスの城壁のある町は、40年前にイスラエルの民を恐れさせたあの町であったのですが、あの町をくださいと語り、戦に出るのです。ここでもカレブが神の真実を信頼して自分ひとりでも征服に出かけようとする姿を見るのです。

⑫ カレブは主の偵察委員に任命されました。彼は自分の意見が大多数の人々と違っていたにもかかわらず、最後まで初めの決断を翻しませんでした。これは彼の生涯の方向性を全く変えるものでした。彼の決断の根拠は神にあります。彼こそ神に委ねきった人物でした。神に従い通したカレブ、二心をもって神に従わなかった人や全然従おうとしなかった人を聖書は対比しています。カレブが神に従い通すように民を説得できなかったにしても、彼自身は生涯を通して神を信頼し、神の栄光の為に大いなる業を待望していました。異国人であるカレブはイスラエルの人々の間に名誉ある地位を占めているのです。彼は不信仰の結果が民の上に及ぶのを目撃するまで生存していました。まさに生き証人だったのですね。神は全幅の信頼をささげ得る方であり、それゆえに従い通すべき方であることをカレブは経験を通して見いだした人です。
 
 主は今日もあなたを祝そうとされています。カレブは他の斥候がみなかった神の栄光を敵や生涯の中にみました。そのような信仰を持ちたいですね。信仰において悔いのない人生を過ごしましょう。多くの危険を誘惑の中にもカレブに見習うなら私達も経験します。しかし、最後まで主により頼む者は救われるのです。

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